熊本の農業

畳を知らない世代に伝えたい 「い草」日本文化の継承へ
友枝 和也さん / 八代市千丁町

2025.05.09

日本の畳表の生産量の99%を占める熊本県八代市。室町時代より現代まで
受け継がれる日本一の技術と歴史を学びに八代市千丁町の友枝さんを訪ねました。

 

い草の栽培は、室町時代から

 八代のい草は、室町時代(西暦1505年)に栽培が始まったとされます。生育には水を大量に必要とするため、球磨川の豊富な水量と八代平野という広大で肥沃な土地が栽培に適していたこともあり、い草作りが発展してきました。究極の連作栽培と言われ、同じ田畑で1年間の間にお米とい草を何年にも渡って交互に作り続けられるため、最盛期には1万戸ものい草農家がありました。長い年月を経て、上質な畳表の生産技術が確立されていきます。

この地にい草を最初に植えたとされる、い草の 神様「岩崎主馬守忠久」が祀られる岩崎神社。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

早朝から日暮れまで約1ヶ月続く収穫作業

 今では機械化され、収穫も泥染めも乾燥も全て専用の機械で行いますが、全てが手作業だったその昔、い草の収穫作業の過酷さは地域内でも語り継がれているほど大変なものでした。い草農家1軒あたり10人の助っ人が必要で、朝4時から収穫を始め、田んぼに穴を掘って泥染めを行い、そのあと天日干しを行います。天日干しの乾燥中に夕立が来ると商品として成り立たなくなるため、それはもう大変な騒ぎだったそうです。

い草の成長点はここ👆

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「産地をどう残すか」農家を取り巻く現状

 現在、JAやつしろのい草農家は214戸ありますが高齢化と後継者不足により次世代への継承が課題となっています。「い草の産地として知られる八代ですが、ここに集中している分、関連企業もここにしかないという大きな課題があります。市場が縮小していくと、生産に必要な設備や関連会社や資材を扱う会社も縮小していくので、産地として残すためには個人だけでなく、その周りの環境、問屋や設備の会社と協力して対策に取り組む必要があるのです。」

い草農家は、い草を育てて出荷ではなく、織り機で編んで畳表として出荷するまでがお仕事です。農作物だけの出荷に比べると機械や工場への設備投資も大きく、その維持にも労力がかかります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暮らしにもっと。い草の可能性

 友枝さんの自宅では畳を用いたソファ兼テーブルを取り入れています。
 「寝る・座る・置く、というあらゆる暮らしの動きに寄り添う畳は居心地も良く万能とも言える素材です。大きな2間続きの和室があったような時代とは異なりますが、今の小さい子どもたちが、寝転がったり、遊んだり、そんな原体験が少ないことは寂しく感じますね。畳の魅力発信のために市や各種団体と連携して、新築幼稚園へ畳の寄付を行うなど、普及活動も続けています。」日本人に必要とされ、もっと身近に感じてもらえること。その機運と生産環境の改善が求められています。

 

 

 

 

 

 

《JAやつしろ い草畳表》

 熊本県は全国のい草栽培面積の90%を超える全国一の産地です。八代産の畳表は香りも良く、優れた断熱効果とリラックス効果が期待できます。

 

 

 

 

 

 

い草は種から植える?

 い草は、稲などのように発芽させた種から苗をつくるのではなく、収穫前の新しい芽を株分けし翌年の苗として増やしていきます。種から作る作物とは異なるため、い草特有の難しさがあります。

取材に訪れたのは3月。この時期い草の丈は15センチくらいですが、6月の収穫期には180~200センチとなります。

 

泥染めとは

 収穫した「い草」は、すぐに泥染めという作業を行います。天然の染土を用いて泥染めすることで、乾燥を促し日焼けを軽減させるとともに、畳の発色をよくする効果があります。

収穫は6月から7月にかけて約20日間続きます。収穫直後に淡路島産の染土で泥染めを行い、65度で約14時間しっかり乾燥させます。その後日光が当たらないように袋に詰められるのです。